2012年TIAFT組織委員長を務める、浜松医大法医学教室教授の鈴木修氏が、
中日新聞「紙つぶて」欄に連載中のコラム。
だれも知らない法医学会教室のヒミツ!!
衝撃の事実!!が満載。

医学の裏街道
読者の皆さま、医学の中の1ジャンルとして「法医学」が存在することをご
存じだろうか。最近テレビドラマで、犯罪死体を検死したり、解剖したりする
怪しげな人物が登場するでしょう。あれが「法医学者」で、れっきとした大学
医学部出の医者である。
実は、日本で法医学者が不足して困っている。法務省から文部科学省に法医
学者を育ててほしいとのプレッシャーがかかっている。刑事裁判に支障をきた
すからである。日本法医学会の調べでは、解剖に携わっている法医学者数は全
国でたったの百四十人弱。平成十六年度から導入された卒後臨床研修制度で、
大学から多数の医者が大都市の病院に流出した。地方大学では、内科も外科も
医師不足で、地域の病院に医師を送れず、深刻な状況である。ましてや、法医
学者を育成するところは大学しかない。そのため、法医学者が減ることはある
が増えることなど考えられない。それでも殊勝な変わり者がいて、一昨年四月
に我が大学法医学の大学院に卒業生が入学してくれた。何十年ぶりの逸材であ
る。逃げられないようにかわいがらないと。
法医学は「きつい」「汚い」「給料が安い」の三Kの典型である。それでも
法医学にも良いところはある。最大の利点は死体は文句を言わないこと。現在
の臨床医の仕事は結構キツイ。少しでもミスをすればすぐに訴えられる。私の
ように人とコミュニケーションをとるのが苦手な人間にはうってつけで、法医
学はとても良い専攻科目と思っている。
医学の裏街道
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先週の文章で読者の皆さまに「法医学」のイメージの一端をお話しした。今

は司法解剖の実際をお話ししよう。

解剖は午前十時ごろから始めることが多い。九時半ごろには県警本部の検視
官と、所轄警察の警官が法医学教室の医局に待機している。不機嫌な顔をした
私と解剖介助の技術職員の二人が医局に現れる。そこで、約三十分間事件の概
要を聴取する。警官たちが事件を通して人間を語り、人生を語る。人間とは、
私を含め、なんと愚かしく、またもろいものか。さすがに無口な私も、ときど
き質問する。しかしそんなことに思いをはせている場合ではない。この解剖の
ポイントは何か、解剖から何を拾い上げればよいのか、私の頭を駆け巡る。今
日は解剖に判事さんは立ち会ってくれるのかな?重大事件に検察が立ち会わな
いと後が大変。検察が解剖所見のポイントを理解していないと、後から細かい
ところをくどくどと質問責めにくるから閉口する。
それはともかくとして解剖室に急ぐ。すべて準備はできている。急いで解剖
衣に着替える。手伝ってくれる警官の皆さんに一礼。それからご遺体に合掌。
解剖の開始だ。解剖にかかる時間は「普通の殺人」で二時間程度。検査資料も
十分採取することが大切だ。解剖終了時も皆に礼をし、ご遺体に合掌して終わ
る。その後も再び医局に戻ってしばし討論。重大事件では検事さんにも加わっ
てもらうのがミソである。昼食抜きですでに午後三時を回っている。しかし今
日の大学の仕事はまだ終わりではない。

医学の裏街道

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人をあやめるのは欲、恨み、絶望のいずれかである。まさに人間と社会のひ
ずみが凝縮して事件となる。誰も建前だけで人を殺さないし、自殺もしない。
あるのは人間の本音だけだ。そこに人間の愚かさ、弱さ、異常さを露呈する。

法医学の仕事をしていると、いや応なく人間の本質を見せつけられる。

人は何も好き好んで他人をあやめたり、自殺をするのではない。そうせざる
を得ないと、人間が勝手に思い込む状況に追い込まれるためだ。しかし、私を
含め、第三者からみると、何も殺すこともなかろうに、なにも死ぬこともなか
ろうにと思える事例ばかりである。私は自分が執刀した解剖千例以上、検死も
千例以上経験しているが、その90%以上が回避できただろうと思う。
しかし、三十年以上の法医学生活の中で、そのような状況にもし自分がおか
れたら、私でも同じことをしたであろうと思う事例が数例あった。その話は別
の機会にしよう。
最近医療事故死が多い。二か月に一例程度の頻度で解剖依頼が持ち込まれる。
同僚の臨床の先生に助言を求めながら、慎重に解剖しなくてはならないし、時

間もかかる。

最近あまり話題に出ないが、尊厳死・安楽死問題。さらに、一昨年成立した
改正臓器移植法に関係する、脳死と人の死問題も法医学で扱う領域である。法
医学は何も死体ばかり扱う科目ではない。医学と法律の接点なら何でもありの

領域で、実に奥が深い。医学の裏側の縁の下の力持ちといったところか。

死体は語らない

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U氏の著書に「死体は語る」というのがある。一時は随分話題になり、法医
学の存在を世に知らしめ、この学問領域の地位向上に随分貢献してくれた。と
ころが、私の法医学人生の印象では死体はほとんど語ってくれなかった。私の
感性が悪いのか、才能がないのか分からないが、どうしても「語る」とは思え
ない。かといって「死人に口なし」とも思えない。新鮮な死体でも、数百例に
一例、注意深く解剖して、さらに検査しても、どうしても死因が判明しないも
のが出てくる。
むかしの法医学の偉い先生いわく「死体所見だけですべてを判断せよ。説明
された状況などに惑わされてはいけない」。しかし、死体所見のみで内因死、
他殺、自殺、事故死のいずれか判断することすら難しい例も多い。高所からの
転落死体、溺死体、焼死体も自殺なのか、他殺なのか、事故死なのか、死体所

見だけではなかなか判別できない。そこら辺、死体に「語って」もらいたい

静岡県は、海あり湖ありで、水中死体がよく持ち込まれる。首つり死体だって
そうだ。大人二人がかりで、生きている人の首にロープを巻き、丈夫な木の枝
に掛けて、引っ張り上げれば、自殺に見せかけることだって可能だ。しかし、
優秀な検視官なら見破れる。
私は「語らない」死体をこじ開けて、一つでも多くの所見を拾い上げるのに
懸命だ。警察の状況説明を全てうのみにするわけではないが、死体の判断に大

いに参考にさせてもらっている。

皮肉なパラドックス

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一九九八年に日本の自殺者数が三万人を超えた。先進国の中で断トツだ。九
十七年には二万四千人強だったのに急に増加した。当時は長引く不況で、大企
業は部品などの調達を国内の中小企業から、価格の安い中国などの外国企業に
シフトさせた時期だ。それによって多くの中高年が職を失った。九十八年から
現在まで、自殺者数はほぼ一定で、三万と三万五千人の間にとどまり続け、減
少していない。二〇〇六年、自殺対策基本法が制定され、全国の都道府県、政
令指定都市にいろいろな施策を実現するように働きかけがなされた。政府内閣
府にも緊急戦略チーム、閣僚が参加するタスクフォースなどが設けられた。し
かし、その効果は、全くというほど出ていない。お上の施策ではだめなのだ。
 国内総生産(GDP)世界二位もしくは三位、平和と安定を享受してきたはず
の日本が、世界有数の自殺国とは皮肉なパラドックスだ。
さらに、自殺の原因・動機の一番目が「健康問題」で自殺総数の約半数を占
める。次いで「経済・生活問題」とされる。日本の国民皆保険制度も、世界の
模範的制度であったはずなのになぜだろう。これもパラドックスだ。
自殺者と長年「付き合っている」私が当然気付いたことがある。自殺・心中者
は必ず孤独、もしくは身近な人とのコミュニケーションが希薄である。人と人
とのコミュニケーションこそが自殺防止の鍵となる。地域の人々の創意、工夫
でよい方法はないものか。必ずあるはずだ。

患者も大変、医者も大変

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私が医学部を卒業した一九七一年ごろは、医者の数は圧倒的に少なく、医者
といえば、それだけで貴族扱い。到底患者が医者に文句を言える時代ではなか
った。ところが、現在は「患者様」の時代である。民意の効用という意味では
望ましい姿だ。医者の態度が横柄なら、すぐに抗議の投書が病院にくる。少し
でもミスをすれば、すぐに訴えられる。昔からあったと思われる医療事故・医
療過誤事件数は顕在化する分、急激に増加した
医療事故で死亡した場合、大抵法医学教室に持ち込まれる。鑑定する立場で
みると医者もいろいろだ。ただ、急性期医療病院の医者は忙しすぎて疲れきっ
ている。たとえ名医でも、一瞬目がかすんでミスをしてもおかしくない状況だ。
一方、患者遺族側も、医者のミスで子供や兄弟の命を失ったら、耐え難い悲し
みと怒りがわいてくる。警察に駆け込みたくなるだろう。
 私は医学生に講義するとき必ず言う。ひたすら真面目に診療することだ。そ
れでも間違えることはある。まじめに仕事をしておれば、決してひどい結果に
はならないと。
しかし、医療事故に巻き込まれた医者は、たいていその病院を辞めてしまう。
医者側も心に大きな傷を負うのだ。臨床医は人の命を扱う仕事。いつも危険と
隣り合わせ。決していい仕事とは言い難い。
学業成績が良ければ誰も医学部を目指すらしい。受験生の皆さん、自分が真

面目に患者に向き合えるか、よくよく考えてから受験してほしい。

刺し傷の数と殺意

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今回、読者の皆さまに少し刺激が強すぎる話をしよう。

典型的な殺人方法として、刃物を使った「刺切殺人」がある。凶器として、

こらへんで売られている文化包丁を使うのがほとんどだ。

一刺しもあれば、百回以上刺しているのもある。死因としてはほとんどが出血
死(医学用語では失血死)であるが、解剖はそんなに簡単でない。傷の数、体
の位置、大きさ、深さ、傷の方向、傷のどちらが刃でどちらが峰なのか、内部
的にどの血管や臓器が傷つけられているのか、どの内部損傷が致命傷か。
凶器の刃物が発見されないと、解剖はさらに慎重に行われる。一刺しでも解
剖は二時間以上かかるのに、傷が百を越すと十時間以上かかる時もある。
若い男性が恋人の女性を百回以上刺したり、妻が夫を八十回以上刺したりす
る。憎いからたくさん刺すのか、殺意が強いからそうするのか。検事さんの最
大の関心事だ
私の考えはこうだ。傷の数と殺意の強さとの間には、ほとんど関係がない。
勝手な想像を述べよう。相手を刺す。相手が倒れる。刺した人の頭の中が真っ
白になる。その直後妄想にとらわれる。倒れた相手が起き上がって、逆襲され
るのではないか。きっと立ち上がって自分を殺しに来る。とっさにさらに何回
か刺す。それでもまだ動いているではないか。動かなくなるまで刺し続ける。
こんなおぞましい想像、もちろん法医学の教科書には書けない。

ここだけの話だ。

日本が危ない

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医者はしょせん技術者であり、労働者だ。いくら偉い先生といえども、直接
患者を診る。医学の先端にどっぷりつかった専門ばかだ。しかし、いろいろな
人間と接していると意外と社会や人間のことが心配になる。
最近でも児童虐待死亡例は増加傾向にある。将来の日本を背負ってもらうべ
き子供を殺すなどもってのほかだ。皮肉にも加害者の筆頭は実母。次いで実父、
母の交際相手と続く。いったいどうなっているのか。
日本の大人が毎年三万人以上自殺している。しかも、2009年の時点で、女性
一人が出産する子供の数はたったの1.37人だ。このまま行けば、40年後には日
本の人口は一億人を下回り、しかも、労働力人口の少ない、老人ばかりの劣等
国になり下がるのは必定だ。
この様な論議は欧米の方がはるかに進んでおり、「ジャパンシンドローム」
と呼んで、高見の見物を兼ねた研究をしているらしい。
日本の現状を維持したいのなら、早急な具体策を講じるべきだ。あと五年放
置したら手遅れになる。消費税よりこちらの方が大事だ。来年からでも毎年百
万人ずつ外国人労働者・技術者を受け入れ、日本を支えてもらいたい。
もちろん多くの反対論が出てくるのは承知の上だ。しかし、今の日本の為政
者たちが敢行できるとはとうてい思えない。
危機感のない国民に訴えたい。「今、日本が危ない」
敗戦からはい上がった日本人のあの強靭な精神力はどこへ行ったのだろう。

脳死と人の死

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政権交代の直前2009年、混乱に乗じてといったらしかられそうだが、改正臓
器移植法が国会で成立した。しかも、いわゆるA案が成立したのだ。A案では、
脳死は無条件で人の死とうたっている。
私も脳死状態の死体の解剖をたくさん経験している。司法解剖では、必ず、
頭蓋腔、胸腔、腹腔を開く。脳死者の場合、首から下の各臓器は新鮮でしっか
りしているのに、大脳、小脳などは原形なく、まるで灰色の泥のようだ。頭蓋
骨を電動のこぎりで切り始めると、その時点で泥状の脳がボトボトと漏れ出し
てくる。やむを得ず、洗面器を下にあて、頭蓋骨を開きながら、流れ出てくる
泥状脳全体をすくい取る。もちろん脳の所見は取れないことが多い。
この様に脳死者の脳の状態を見せ付けられると、脳死とは全人的に人の死と
実感する。しかし、A案が通っても、まだ脳死を人の死と認めたくない人も多
い。一度私どもの解剖をビデオに撮り、お見せすれば考えを変えてくれる人も
出てくると思ったりする。
もちろん、家族の気持ちも理解できる。脳死と言われても、心臓は拍動し、
体は温かい。しかし、むごいかもしれないが、医学的に脳死は人の死なのだ。
臓器だけでも他人の体の中で生き続けることができると思って、移植を希望し
た家族も多いと聞く。
改正臓器移植法が施行されてから、脳死臓器移植件数は三倍以上に跳ね上が
った。それだけの数の命が救われるのだ。
老人社会
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日本は老人社会に突入しつつある。現在、特別養護老人ホームは比較的安価
だが、入所希望者が多すぎて何年たっても入れない。老人保健施設は保険を使
っても月に十五万円以上、老人病院は二十万円以上もかかると聞く。敗戦を知
っている世代はよく働き、質素に生活し、ある程度の貯蓄をしてきた。恐らく
今までの貯蓄を取り崩して入所・入院費に充てているのだろう。しかし、これ
からが大変だ。団塊世代を含めた次世代の人々に、毎月十五〜二十万円以上支
払うことのできる人々はごくわずかだろう。ましてや、現在二十~三十歳代の
人々は自分の生活で精いっぱい。到底親のために、毎月そんな高額なお金は払
えない。そうなると、自宅で家族が老人の世話をせざるを得なくなる。
少し前に、役所に届けず、自宅に老人の死体を放置した多くのケースが発見
され、世間を驚かせた。これからもそのような事件が続くだろう。
自宅で長期間老人の看護、介護をするのはどだい無理だ。家族は疲れ果て、
一家心中にもなりかねない。在宅医療・介護の施策を早急に進めなくてはなら
ない。病院、施設でも介護士のなり手が少ない。大変な体力や手間を要する割
に、給料が安いからだ。在宅医療・介護は現場に出かけて仕事をするわけで、
はるかに効率が悪く、重労働を必要とする。
そこで、外国人の労働力に頼る必要がある。早急に門戸を広く開けるべきだ。
日本が破産したら、外国人は誰も働きに来てくれなくなる。
東日本大震災と法医学者
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先週11日金曜日の午後、グラグラときた。震源地は三陸沖だとすぐ知ったが

これほどひどいことになるとは、思いもよらなかった。

大規模災害に法医学者が活躍していることを、読者の皆さまはご存じだろう
か。1995117日の阪神大震災の惨劇は忘れられない。神戸大法医学教室が
心となり、おびただしい数のご遺体の検死と検案の発行を敢行し、それをや
り遂げた。先回の大震災を教訓に、日本法医学会は、大規模災害発生時の際の
「活動マニュアル」を作成し、大惨事に備えていた。
今回は対応が早かった。12日には、現場に行くことができる法医学者を登録
するメールが全国の法医学教室に届き、13日には関東地区の法医学者、法歯学
合計16人が宮城に向けて出発している。岩手医科大、東北大、福島県立医科
の法医学者たちは当初から奮戦している。
  この様な災害では、救命活動がもちろん再優先だ。その中で死亡例が出てく
るわけで、検死が必要になる。できる限り早く法医学者も救命部隊に加わって
いる方がいい
今回の災害は規模が大きい。阪神大震災を大きく上回る死者が出るだろう。
恐らく、検死・個人識別活動は長期戦となるに違いない。
日本法医学会のメンバー数も多くない。
自分の大学での司法解剖もおろそかにできない現状もある。被害地近隣医師
会の多くの先生方の協力なしには、今回の検視活動を乗り切ることは不可能だ。
入学試験と携帯電話
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 大震災の少し前、大学入学試験における、携帯電話のメール機能を利用した

「カンニング」事件が大々的に報道された。

実は、私はこのようなことをとうの昔から予測していた。今回の捜査では、

一人の浪人生が複数の大学入試でメールカンニングしたとされる。

 私が担当しているわが大学の法医学試験では、もう十年ほど以前から、試験

教室の教壇の机上に箱を持ち込み、学生の携帯電話全てをそこに集めてから、

試験を開始するのが恒例となっている。

学生側からすれば、なんと意地悪な教授だろうと思われているに違いない。

殺人事件ばかりに付き合っていると「性善説」はどうしても受け入れられな

い。

現在の携帯電話には恐ろしいほどの高度な機能を備えたものが多い。写真+

転送機能は昔からあるし、スキャン+転送機能も、最近の機種の一部には付帯

されているという。今回の事件も、本当は氷山の一角と考えた方が良さそうだ。

昔から、試験にはカンニングがつきもので、携帯電話を使ったカンニングな

だれもが思いつく。

今回の報道で思うことが三つある。第一に、試験する側が甘すぎる。試験前

に携帯電話はすべて試験場の一角に集めるべきだ。さらに金属探知機で調べて

もよいくらいだ。第二に、今回被疑者とされている若者に重い刑罰を科しては

ならない。第三に、マスコミ各社の報道が過剰すぎた。これからは是非思いや

りのある報道をお願いしたい。

夜回り先生と若者薬物乱用
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震災の少し後の三月二十一日、「夜回り先生」こと水谷修氏の講演会を聴きに
行った。千人弱の聴衆で大盛況であった。大震災犠牲者への黙とうから始まった
水谷氏の話は能弁かつ説得性に富み。聴衆を魅了した。「夜回り」中に遭遇す
る若者たちには薬物乱用者が多く、その段階では、水谷氏の愛情だけではどうし
ようもないことを彼自身も認めていた。
薬物乱用者はまさに病人であり、まず医者による適切な治療が必要であるとし
さらにDARKのような社会復帰施設の必要性にも言及した。
私個人の考えだが、人間のDNAには、だれでも一つは邪悪なものに耽溺したい
という欲求遺伝子が組み込まれているように思える。それを抑えているのが、家
族や周囲の人々の愛情や本人の理性だろうか。一旦その抑制が外れると、何らか
らかの耽溺に走る。
その入口がたばこや酒、次に鎮咳薬の一種やシンナー(現在では百円ライター
ガスやカセットボンベガスに置き換わっている)、さらに進むと大麻や「エクス
タシー」、そして最も悪質なのが覚せい剤である。
乱用薬物はいろいろあるが、乱用者の多くは複数の薬物乱用を経験している。
深夜になると、大・中都市の繁華街には必ず薬物の売人が現れ、たむろしている
若者に声をかける。薬物乱用が盛んなのは欧米だけではない。日本の多くの一般
人が薬物乱用にはまり込み、本人のみならず家族もが地獄の苦しみにもがいてい
る。

 尊厳死と安楽死

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 現在、大震災後遺症と原発放射能漏ればかりで、日本が揺れている。このコ
ラムの筆者は、私を含め題材に苦慮されていることと思う。しばし、大震災関
連は横に置き、私の文章にお付き合い願いたい。
最近老人病院を訪問すると、寝たきり老人ばかりで、胃ろう造設術(PEG)
を施された患者さんが多い。つまり、上腹部皮膚に直接穴を開け、直接胃の中
に管を通し、点滴と同様な要領で半流動性の栄養豊富な液状物をゆっくり流し
込むのだ。病院の手間は大幅に減り、口から食物を与えるときに頻発する誤嚥
性肺炎も回避できる。
ところが、患者の立場からすれば、口から食物が入ってくるわけではないの
で、それこそ味もそっけもない。この「食事」で、患者さんによっては十年以
上も生きるそうだ。自分がそうなったら、そこまでして生きる必要があるだろ
うかと考えてしまう。
事故か何かで大病院に運ばれ、人工呼吸器で意識なく一カ月以上生き続ける
ことだってある。家族は看病に疲れ果て、医者に人工呼吸器を止めてくれるよ
うに頼むが、大抵断られる。それは殺人罪に問われたり、マスコミで安楽死と
して報道されたりした過去の多くの例があり、医療側が過剰に恐れているから
だ。 
延命治療を回避する一番の方法は、この業界最大手の日本尊厳死協会に入会
して「尊厳死の宣言書(リビングウィル)」を作成し、本人の意思を示してお
くことだ。これを示せば、医者の方も安心して延命治療を停止できる。わたし
も近々入会するつもりだ。
誰も死と隣り合わせ
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今回の大震災では、膨大な数の人々が犠牲となった。いろいろな天災や戦争
は、希望を持って生きようとしている人々を、無残に殺す。
日本では毎年百万人余の人々が死亡している。そのうち三十万人以上ががん
で死に、三万人以上が自殺している。1991年、私はぼうこうがんで手術を
受けた。幸いにも名医にめぐり合い、再発せず、今のところ元気だ。ガンを告
げられたときの私の心境は、独房に投げ込まれた死刑囚のようだった。まさに
孤独の戦争だ。私の友人や親族にも現在がんと闘っている人が何人もいる。克
服してくれることを切に祈るばかりだ。
生きたいのに死ななくてはならない人々は、大震災以外でもどこにでもいる。
実は、死はだれにとっても、いつも隣り合わせなのだ。せっかく生きているの
だから、いつかは死ぬのだから、今ある命を大切にして、笑顔を絶やさず生き
てほしい。たとえ深刻な悩みを抱えていてもだ。
阪神大震災が収まり、復興が始まったころ、多くの人々が自殺したり、アル
コールや薬物乱用に走ったと聞く。今回の大震災が一段落してから、同様なこ
とが起こらないかと心配だ。しかし、テレビを見る限り、全てを失った東北の
被災者の方々が大変気丈で、インタビューなどにしっかり受け答えしているの
に感心する。東北地方には、昔からの日本人の良さが強く残っている。それは
人と人との暖かい絆だ。絆を糧にすれば、この不幸を必ず克服できると信ずる。

 白い巨塔の崩壊(1)

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私が大学に入学したのは1965年。従って、大学生活六年間のうちの三年
ほど大学闘争の真っただ中にあった。60年の日米安保反対運動から始まり、
70年の安保闘争に続く時期でもあった。
大学闘争では旧左翼系、新左翼系が入り乱れ、運動スローガンも各大学、各
学部でさまざまであった。医学部では、青医連などがインターン問題などを中
心に大学当局、政府と対峙し、大運動を展開した大変な時期だ。卒業した71
年にはようやく大学闘争も終結し、既にインターン制度も廃止されていた。
その時点で「白い巨塔」はある程度崩れた感があった。すなわち関連病院へ
の医師の派遣などの医局人事権は、それまで主任教授が一手に掌握していたが、
人事はなるべく透明性良く、医局員たちが民主的に話し合い、教授でない助手
か講師クラスの医局長がアレンジする形となった。
ところが、十年もたたないうちに、この「改良医局制度」は形骸化し、実質
的にもとの白い巨塔制度に戻ってしまったのだ。
しかし、その間、徐々に若い医師の意識も変わってきた。臨床医学の専門細
分化が進み、専門医制度などが各学界主導で一般化し、若い医師は「医学博士」
(学位)の称号を欲しがらなくなった。事実、学位は大学以外で医者として働
くのになんの意味も持たない。しかも、専門医は大学に限らず、設備の整った
病院で取得可能である。「医学博士」よりも「…科専門医」の方が実質的で格好
がいいのだ。この続きは来週お話ししよう。

 白い巨塔の崩壊(2)

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臨床医を目指すには、医師免許を取得した後、医学部の特定の講座の医局に
登録して、臨床専門科目の基礎訓練を数年受ける。それが終わったら、関連病
院に赴任し、中堅の上司から指導を受けながら、さらに数年勤務する。
しばらくすると大学に戻るように医局から指示が来る。「医学博士」(学位)
を取得するためだ。大学院だと四年、大学院以外の医局だと五年かかる。その
間は実験研究が主で、臨床の比率は少ないことが多い。教授や上司の研究を手
伝いながら、自分の研究をするわけだから大変だ。
若い医師の中には医局の指示に従わず、地域の病院に居座る反抗組も出てき
た。学位がいらなければ、何も大学の言うことを聞く必要もないからだ。収入
的にも地域の病院勤務の方がはるかに恵まれている。

そのような経緯で、大学中心の「医局制度」は徐々に脆弱化してきた。

そして、ついに2004年、二年間の「卒後臨床研修制度」が導入された。
すなわち医学部六年生になると、インターネットを使った「マッチング」で研
修病院を自由に決めることができる。医者になったら大学の医局に属さなくて
もいいのだ。地方大学出身の若い医者たちは大挙して大都市の大学病院になだ
れ込み、地方の大学病院の医局員の数は激減した。「白い巨塔」は完全に崩壊
した。もはや地方病院に十分医師を送る余力などない。
医師不足・偏在で、医療崩壊寸前だ。全国地方病院が皆悲鳴を上げている。
国立大学法人化
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国立大学の法人化は2004年度から始まった。小泉政権時代、遠山敦子文部
科学大臣が音頭を取って国立大学の構造改革を開始した。国立大学を部分的に
民営的とし、国からの出費を極力抑え、競争的原理を導入して教育・研究を促
進させるはずであった。
産学連携も強化し、国立大学は象牙の塔でなく、国民の税金で得られた業績
を社会に十分に還元すべきだとの発想にも沿った改革だった。
第一期中期計画は六年間で、10年3月で一区切りである。その後現在を含
め第二期に入っている。法人化第一期に対する国立あ医学の評価はどうかとい
うと、少なくとも私の周囲では、法人化を褒める言葉を聞いたことがない。た
だし、学長さんたちには好評だ。学長裁量経費・間接経費などの使用条件がか
なり緩和され、弾力性が付与されたことが利点らしい。
しかし、助教から教授までの教員に自己評価、社会貢献、中期計画、年度計
画、実績報告など多くの書類作成の義務が課され、さらには、PBL・チュー
リアル、CBTOSCなどの新しい方式の教育や試験に駆り出されることになっ
た。その分研究に割く時間がずいぶん減った。事実、法人化前後の大学からの
論文発表数を比較すると、一割ほど減少しているという。
法人化はやむを得ない面もあるが、教職員に多大な雑用を押しつけているの
は確かだ。優秀な人材が国立大学から逃げ出さないよう、工夫・改良、さらに
大幅な簡略化と効率化が必要だ。
日本病
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私は1981年から82年にかけチューリッヒ大法医学研究所に約一年間留学した。
97年に臓器移植を前提として、脳死が人の死とされ、心臓が拍動している脳死
患者から臓器移植が可能になった。
ただし、その当時は本人の提供意思が必要で、私はいわゆる「ドナーカード」
を入手し、必要事項を記入し、財布に入れて大切に持っていた。
ところが、少したって私が提供者として資格がないことを知ったのだ。ヨー
ロッパに半年以上滞在すると、クロイツフェルト・ヤコブ病にかかっているか
もしれないからだという理由だ。おかしなことに、滞在国が米国ならば、提供
できるという。厚労省の検討委員会の結論らしい。
医学者の大半が、ヨーロッパや米国留学の経験を持つ。そうなると、臓器移
植に携わる医学研究者の多くが、自分の臓器を提供できないわけだ。臓器移植
法が改正された現在でも状況は同じだ。
いったいヨーロッパに半年以上滞在した人の何パーセントが前記の疾病に罹
患するかデータを見せてほしい。何万人に一人以下かも知れない。こんなこと
を議論している間に、臓器を待っている人々がどんどん命を落としている。
まさに、子細にとらわれ大局を失っているとはこのことだ。厚労省に限らず、
このような精神構造は日本全体にまん延している元東大総長のS氏が某講演会
のあいさつで、いみじくもこのような日本の現象を「日本病」と評した。この
病気、日本人の不治の病かもしれない。
地方大学と大学院化
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文部科学省は2000年ごろまでに、旧七帝大に二大学を加えた、九大学をい
わゆる「大学院大学」とし、大学院教育・研究が主体で、学部学生教育はそれ
に付加するものとした。これを「大学院重点化」と呼んだ。これらの大学では、
大学院生の入学定員が大幅に増員され、それに伴った予算優遇措置がとられた。
その後、次々と予算優遇措置を伴わない、名ばかりの、大学の大学院化が多
くの国公私立大学に広がった。大学院科目の名称もやたら長く、何の学科なの
か理解しにくいのが特徴だ。文科省の中には、旧七帝大を中心とした大規模大
学に研究拠点として活動してもらい、わが浜松医科大学を含めた地方大学には、
大学学部教育に専念してもらえばよいという考えが根強くある。
私はこの考えは間違っていると思う。日本では、ものづくり大企業がよく頑
張っていると思われがちだが、実は、大企業よりはるかに多数の中小企業が高
い技術力を持ち、大企業を下支えしているのだ
 大学も似たような関係だと思う。地方大学もしくはその出身者が大発見をす
ることもよくある。例えば、1984年、宮崎医科大(当時)松尾壽之教授ら
のANPの発見。さらに、1993年、徳島大学出身の中村修二氏らによる青
色LEDの発明など、世界に誇れる研究が日本の地方から多く発信されている。
決して地方大学の研究機会を摘み取ってはならない。いずれの大学も、研究
と教育は相互に刺激しあい、高めあい、セットで存在してこそ発展するのだ
髪の毛は「ゴミ捨て場」
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 私の主な研究領域は、違法な薬毒物の分析技術開発だ。若いころ、1984年
に毛髪一本から覚せい剤を検出・同定することに成功した。
 覚せい剤を注射・吸入すると、それは体にとって異物であり、有害で、なる
べく早期に体外に排出しようとする。多くは尿中にそのままか、もしくは代謝
物として排泄される。しかも、覚せい剤の一部は、毛根の毛球乳頭部の毛細血
管から、毛母細胞に活発に取り込まれる。毛母細胞内には多量のメラニンが存
在し、マイナスに荷電している。覚せい剤は通常プラスに荷電しているので、
両者は引き合い結合したままになる。
 毛母細胞は毛髪の成長とともにケラチン成分が多くなり、覚せい剤を含んだ
まま硬くなり、乾燥し、その結果、毛髪の皮質を形成する。毛髪は毎月約1.2a
伸びるので、それに伴って覚せい剤も先端方向に移動する。その間、覚せい剤
は変化することなく、毛髪内に長期間保存される。
 覚せい剤を注射・吸入した後、血液や尿中の覚せい剤は約3~4日で検出不可
になってしまう。毛髪では数カ月たっても検出可能だ。
 覚せい剤以外の塩基性薬毒物も毛髪に蓄積されやすい。代謝されにくい異物
も、そのまま毛母細胞に取り込まれ、体外に排出できる。
 子供のころ、頭部を傷つけると、大出血した経験を持つ人が多いだろう。頭
部は血量が多い。その分、薬毒物が盛んに毛髪にとりこまれる。私は、毛髪は
一種の異物の「ゴミ捨て場」だと思っている。
アルコール依存症
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私はいわゆる下戸で、アルコールを全く受けつけない。仕事上、体力と神経
両方酷使するためストレスはたまる一方。酒飲みがうらやましい。
去年の暮れに、静岡県富士市にある聖明病院の近藤直樹院長の講演を聞いた。
彼の病院は、アルコール依存症と乱用薬物中毒患者のみを治療する専門病院だ
入院患者の三分の二がアルコール依存症だそうだ。薬物乱用の入口が酒とたば
こといわれるが、入口どころか、酒で人生を棒に振る人は大変多く、事態はた
いそう深刻だ。その深刻度は覚せい剤中毒を上回っているかもしれない。本人
の健康障害はもちろん、家庭は崩壊し、周囲の人々に多大なる迷惑と被害をも
たらす。悪質な飲酒運転による交通事故死例も多い。 
私もアルコール依存症の人の解剖を多く手掛けた。まず、肝機能障害から始
まる。重篤になるとアルコール性肝硬変症になり、肝機能障害で死亡すること
もよくある。大脳皮質の委縮も特徴的だ。それにより人格が低下し、理性での
抑制が効かなくなる。仕事もせず、朝から酒浸りとなる。
そろそろこの大震災が一段落しつつある時期だ。多くの被災者が未来を見失
い、アルール依存症に逃避したり、ひいては自殺したりするのが心配だ。この
ことを十分視野に入れ、物心両方から息の長い支援が必要だ。ただ、一番大事
なのは、被災者を孤独にさせないこと。人と人との絆をいかに維持し強めてい
くか、そこが一番重要なポイントだ。

日米関係のこれから

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 国立医科大学に長年勤務している間に、文部科学省の意向によって、いろい
ろの教育改革がなされてきた。2000年にOSCE、01年にCBT、03年に
PBLチュートリアルといった聞きなれない、アルファベット表示の新しい教育
方式が次々と大学に導入され、少々食傷気味だ。これらの方式の発祥地は欧州
のものもあるらしいが、ほとんどすべて米国で盛んに行われているものだ。
これらは、文科省が独自に研究して導入したというより、どうも米国のアド
バイスもしくは模倣で実施された感が強い。
福島原発で、低放射性物質汚染水1万トンを勝手に海に放出し、近隣諸国の
ひんしゅくを買った。実はこれは米国のアドバイスに従ったためだとの報道が
あり、私は大変びっくりした。これが本当なら日本人として情けない話だ。
私はこれからの日米関係が、今まで通りで果たしてよいものかと思う。政権
政党が変わり、霞が関との間に距離が生じている現在、沖縄の米軍基地問題も
暗礁に乗り上げたままだ。沖縄県の人々の意見を最大限に尊重するのが日本政
府の義務だ。米国による日本への影響力は現在やや低下し、米国はイライラし
ているらしい。
私は米国とたもとを分かつ方がいいと思わない。同盟関係は確かに必要だが、
米国至上主義には反対である。また、米国にノーと言えない日本の姿勢こそ大
問題なのだ。
その点、同じ敗戦国であるドイツの姿勢は大いに参考にすべきだ。

覚せい剤の恐ろしさ

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乱用薬物にはいろいろあるが、最悪なのは覚せい剤だ。覚せい剤の症状は投
与法によって異なる。水溶液を経口摂取する方法や、「炙り」といって、覚せい
剤の結晶をアルミホイルにつつみ、ライターの炎などで熱すると白い煙が出現、
これを吸入する方法がある。しかし、最も効率がいいのは、やはり、静脈に注
射する方法だ。この方法はかなり危険で、投与量が過剰だったり、覚せい剤に
過敏な体質だったりすると、急性心不全を起こし、よく死亡する。
しかし、適量の静注だと、一度体験するだけで、その快感の虜になってしま
う。そのため、全てをなげうっても覚せい剤を入手しようとする。乱用を繰り
返していると、幻聴、被害妄想、追跡妄想などの精神症状が出てくる。
田舎の電信柱によじ登って墜落死したり、高速道路を猛スピードで運転しな
がら、ナイフで自分の首を切り自殺したりする。常軌を逸した行動が特徴的だ。
乱用者にとって、妄想が現実の世界なのだ。
さらに、逆耐性現象といって、以前より少ない量の覚せい剤で同程度の幻聴
や妄想が出現するようになる。この現象が顕著になると、最終的に、覚せい剤
を投与しなくても、急に精神症状が現れるようになる。これをフラッシュバッ
ク現象と呼んでいる。
そうなると、もはや統合失調症と区別できなくなる。この段階では、治療
てもなかなか改善しない。一生病院生活になることだってある。
覚せい剤はかくも恐ろしいのだ。

ダルクとドムクス

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 私の拙い文章にお付き合い下さった読者の皆さまに感謝申し上げたい。
後にダルクとドムクスについて述べよう。
現在、各種薬物依存者の共同生活によるリハビリ施設が全国に六〇弱存在す
る。この施設を「ダルク」と呼んでいる。これらの施設は一切公的な援助を受け
ていない。すべての経費は入所者の生活保護費と、民間からの寄付金などで賄
われている。
それぞれのダルクは独自の回復プログラムを持ち、リハビリを目指している。
ダルクの活動はかなりの成果を上げているようだ。
静岡県にはすでに二カ所のダルク施設があるが、浜松にはまだない。現在設
立準備段階だそうだ。ところが、ダルク設立には賛成だが、自分の家の近所に
つくられては困るというのが一般市民の本音だ。浜松ダルクの設立も前途多難
だがぜひ実現してほしい。
薬物依存者本人の人生もボロボロだが、もっと地獄の苦しみを味わうのがそ
の家族だ。先日、薬物問題を抱える家族の会「ドムクス」理事長の岩松美八子さ
んの講演を聞いた。彼女自身の赤裸々な体験を語ってくれた。
家族の会では、苦しみを分かち合うのは当然だが、それよりも息子や娘であ
る薬物依存者にいかに接するか、その方法を学んだことが一番役に立ったと話
された。それは「愛情ある突き放し」だそうだ。
薬物依存症専門病院、ダルク、そして家族の会、この三者の草の根の連係プ
レーこそ、薬物依存症対策で最も効果的な方法であることには間違いない。
医学の裏街道 1 医学の裏街道 2 医学の裏街道 3
死体は語らない 皮肉なパラドックス 医者も大変患者も大変
刺し傷の数と殺意 日本が危ない 脳死と人の死
老人社会 東日本大震災と法医学者 入学試験と携帯電話
夜回り先生と若者薬物乱用 尊厳死と安楽死 誰も死と隣り合わせ
白い巨塔の崩壊(1) 白い巨塔の崩壊(2) 国立大学法人化
日本病 地方大学と大学院化 髪の毛は「ゴミ捨て場」
アルコール依存症  日米関係のこれから 覚せい剤の恐ろしさ
ダルクとドムクス 「法医学教室より」は最終回となりました。ご愛読ありがとうございました。

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