蚤の市のフジタ

発端は9月28日土曜日だった。この日私は朝から、夫の同僚の妻二人をアムステルダム市内見物に案内することになっていた。手始めに訪れたのは、ワーテルロー広場の蚤の市だ。郊外から乗った路面電車が市街に近づき、地下鉄に変わるころには、乗客の風体もぐっと怪しげになり、バッグに掛けた手に力が入る。蚤の市は近頃だいぶ様変わりして古道具屋がめっきり減り、アジア、アフリカのエスニックバザールと化している。それでも、たまには掘り出し物も見つかるので、ここはお気に入りの場所のひとつだ。
ポルノビデオ屋のあからさまな商品に驚いて立ち止まってしまう若妻を急かし、マリファナとインド線香の匂いが交錯する中を歩いていると、中古CD屋と、少しましな古道具屋が戸板を並べている一張りのテントがあった。
古道具屋の方に、壊れかかった額の猫の絵が掛かっている。私は隠れもない猫党で、何であれ猫の形態をしているものには自動的に目が行ってしまう。半裁ほどの水彩で、茶トラが半ば顔を伏せて寝ているのが太筆で荒く描かれ、墨線で素早く輪郭がとってある。感じは悪くないが、いかにせん汚なすぎる。
サインが目に入った。墨で洒脱な「嗣治」その下にFoujita、さらに1957。
まさか。
しかし明らかに画集などで見慣れたレオナルド・フジタのサインだ。贋作?リトグラフ?眼鏡を忘れた私にとって、確認するにはやや遠い。しかし、興に乗って描き殴った態の、楽しくはあるが、わざわざそんなものに取り上げるほどでもない作品だ。
連れの二人にその疑問を話したが、がっかりしたことに、二人ともフジタのことをまったく知らず、私の興奮は一人相撲となってしまった。彼女たちの年代では無理もない。
値段を聞こうとしたが店主が見当たらない。隣のCD屋が手招きし「隣は今いない。」と言った。
ひとりで来たのなら、店主が戻るまで待って交渉するところだが、今日はこの後案内すべきところがいくつもある。蚤の市に長居することはできない。後ろ髪を引かれる、とはこのことかと思いつつ、次のスポットへ向かった。
夕方までたっぷりとめぼしい店や穴場を案内し、帰宅すると、真っ先にパソコンの蓋を開き検索してみた。フジタの猫は、あの有名なアイボリーの下塗りの上に、繊細な墨線で裸女とともに描かれたものを、いくつか見たことがある。アムステルダムの「猫の博物館」には緻密なデッサンが数点ある。そこまでは私の知識の範囲内だったがあのような早描きの水彩については無知だったからだ。
あちこち探しているうちに、画廊のネット販売のサイトに辿りついた。そこにはやや戯画的な二匹の猫の水彩に145万円が提示されていた。蚤の市の猫より、もう少し描き込んであるが、技法は似たようなものだ。
買うしかない!
私は決めていた。贋作で構わない。いや贋作どころか多分誰かが描いた絵に、いたずら半分でフジタのサインを真似て入れたのだろう。蚤の市であんなふうに無造作においてあるからには、高価いはずがない。でも、あのサインはうまくできていた。汚いままで飾って「蚤の市のフジタ」と言えばシャレになるではないか。
それから追跡の日々が始まったのだ。翌日曜は蚤の市は休み。月曜に高鳴る胸を抑え、電車に乗った。曜日が違うと蚤の市の様子もどことなく違って見える。うろ覚えの一角に行ってみたが、それらしい店はない。このあたり、と思えるところにはテントだけがあって商品も人の姿もない。遅くなってから開店するのか、としばらく時間をつぶしたが、やはり、そこはうつろなままである。その日はあきらめて帰った。
同じ曜日ならば、と土曜を待って行くことにした。いろいろ用事が重なって、付き合ってくれるという友人とともに電車に乗ったときは3時を超えていた。電車の中で話し込んでいたために、乗換え駅を逸し、後戻りし、後戻りしたこと失念して、同じホームで乗り換え線を待って、電車が来てから逆方向と気付き・・・。
蚤の市に着いた時はすでにあちこちで店じまいが始まっていた。こんなに掛け違うときは、うまくいくはずがない。すっかりあせった私は、場所は心覚えとは少し違うが、なんとなく似た店構えの店主に
「先週の土曜日に、ネコの水彩画売ってなかった?」と尋ねた。
忙しげに白いバンの中へ商品を詰め込んでいた店主は、ちょっと目を宙に泳がせたあと、
「ああ、あるよ。でももう片付けちゃったから、今日は出せない。」と、バンの中を覗くそぶりで答えた。
「それって、茶色の寝てるネコ?本当に持ってるの?」重ねて聞く私に
「そうだよ、火曜日においで。」
「いくら?」
「10ユーロ」
1200円か、いい展開になった。
頭の隅に疑いはあったものの、月曜に来た時いなかったのだから、火曜に来いというのは符合する、と自分を納得させた。
その店のすぐ向かい、多分この間テントだけの空間だったあたりに古道具屋が出ていて、猫ならぬ下手なキノコの絵が掛かっていた。しかし、既に「火曜日」とインプットされた頭はそれ以上の情報を求めなかった。
火曜日になった。目当ての店はない。でまかせだったんだ、とぼやきながら、キノコの絵が掛かった店の前を通り過ぎようとして、土曜日に気付かなかった隣の店に、見るともなく目をやると「同僚は今いないよ。」と手招きしたCD屋ではないか。
古道具屋の店主は、客と話している。話が途切れたところで
「2週間くらい前、ネコの絵を・・・」と言いかけると
みなまで言わせず
「売れた!」と一言。ついで、
「500ユーロ!」
鼻息荒く言った。
6万円だ。贋作ではなかったわけだ。しかし、彼があの絵の価値を知っていたとは思えない。あの時の絵の扱いはどう考えても500ユーロのものではなかった。額も壊れかけ、埃だらけだったし、第一、雨も風も当たる蚤の市にそんなものをぶら下げる馬鹿はいない。蚤の市で売っている絵にそれだけ払う馬鹿もいない。フジタと知って500ユーロぽっちで売ることもなかろう。
あの時、帰ってきた店主に、CD屋が
「日本人があの絵を見て興奮してた。」と伝えたのだろう。
そしてどこかの目利きに持ち込み、見事500ユーロせしめたに違いない。目利きは、埃で汚れてこそいたが、痛んではいなかったあの絵を補修家に手入れさせ、きれいになった絵は豪華な額に入れられて何十万円かで取引されるのだろう。
ま・いいか。と私は思った。もし、あの時店主がいてあの絵を私が買ったとしたら(50ユーロ以上ということはなかっただろう)鑑定にも出さず、汚いままで、「蚤の市のフジタ」としてトイレの前の壁あたりに飾ったに違いない。間一髪で指先を掠めて行ったのは悔しい限りだが、あの絵にとっては幸せな道だっったのだ。 私には物語がひとつ残された。本物のフジタを手に入れたというよりは、ずっと自慢しやすいではないか。
もし、この話に最高のオチをつけるなら
ある日、「猫の博物館」を訪れた私の前に、立派になった「蚤の市のフジタ」が掛かっていた。だろう。

後記 その後、猫の博物館に行く機会を得て、カウンターでこの話をした。
「フジタはアムステルダムにいたこともあるから、あり得る話ね。
でも、残念ながらそれを買ったのはこの博物館ではないわ。」

私の手をすりぬけていったのは
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